スポンサーリンク 定年バンザイ 人生日々挑戦:2013年08月 QLOOKアクセス解析

定年バンザイ 人生日々挑戦

定年バンザイ。人生、何事にも挑戦することが大事です。 青春は、一生です。

「キキとララ」

なぜ、ブログと言うのか。

 例によって、ネットで調べた。いろいろな説明があるが、分かりやすいものを自分なりにまとめてみた。

 まず、World Wide Web ワールド ワイド ウェブ 略名WWWは、インターネット上で提供されるシステムを言い、W3(ダブリュー スリー)あるいは単に Web(ウェブ)とも呼ばれる。

 Weblog ウェブログ ウェブ上のlog logは記録、つまり、「ウェブ上に残される記録」という意味であり、それが短縮されてブログと称されるようになった。

 「ウェブ上に残される記録」には、さまざまあるが、継続して更新される日記形式のウェブサイト(ホームページ)が代表的であることから、その総称として、ブログと呼ばれる。

 元々は、ウェブ上で日記のように日々の出来事などを綴るためには、個人でインターネットのホームページを持ち、HTMLというウェブ表示用の言語を覚えなければならなかった。また、ウェブ上で写真などを表示させるためには、ある程度の技術的な知識が必要であった。

 しかし、その後、ブログ作成用ツールが登場し、あるいはブログ専門サイトができたことにより、ブログ作成用ツールを使ったり、ブログ専門サイトに登録すれば、技術的な知識が一切不要になった。
 ブログ記事の内容だけを書き、写真をサーバーにアップロードするだけで、継続して更新される日記形式のウェブサイト(ホームページ)を簡単に作成することができるようになった。


 今は、メールを打つことさえできれば、誰でもブログを書き、ウェブ上に公開することができる。

 今や、ブログを書くことが生き甲斐だとおっしゃるシニアは、おそらく何十万人といるだろう。

 シニアがブログを書くことを生き甲斐とするのは、大いに結構なことだ。
ブログを書くためには、頭を使い、身体を動かさなければならない。 
 シニアがパソコンやケータイ、あるいはデジカメを操れるのは、元気な証拠だ。
デジカメを持って、被写体を写すには歩かなければならない。そして、いずれの場合でも、頭を使わなければならない。

 今のシニアは、ブログを書くために、キキとララだ。

 そういうシニアを若い人たちもいろんな意味で喜んでいるだろう。いろんな意味でね、ここが大事なところだ。

 しかし、昔のシニアは、キキとララになろうと思っても、できなかった。

 そもそも、個人や家庭でインターネットを使えるようになり、急速に普及し始めたのは、21世紀に入ってからのことである。たった、ここ12、3年のことだ。

 また、アップルがアメリカで「iPhone(アイフォーン)」の発売を開始したのが2007年だそうだから、ブログ大流行りの時代になったのは、おそらくここ数年のことにすぎない。


 1990年代半ば以降、インターネットは、世界中のビジネスや文化に大きな影響を与えている。そして、ケータイその他のデバイスの普及がその傾向に更に拍車をかけている。

 それらの功績は、さまざまに大きいものがあるが、見方によっては、グローバルに、シニアをキキとララにしたことが最大の功績であろう。

 だから、インターネット、ケータイその他のデバイスの発明者は、ノーベル賞ものである。もうとっくにノーベル賞が授与されているとは思うが、万が一、まだだというのならば、直ちにノーベル賞を授与しなければならない。


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わさお

 去る7月3日、わさおについて、次のようなブログ記事を書いた。 

 わさおは、最近、別人ならぬ別犬のようにやつれているのだそうだ。わさおは、もともとブサカワイイと言われるほどに、大柄の丈夫な秋田犬(あきたいぬー秋田県の人々はあきたけんとは呼ばない。誇らしげに、あるいは頑固に、あきたいぬと呼ぶのだ)である。それが毛が抜けてほっそり、とやつれ、犬相が変わってしまったかのようだという。

 わさおは、もともと捨て犬だった。そのわさおを救ったのが菊谷のおばちゃんである。菊谷のおばちゃんは、津軽藩10万石の御用港として栄えた鰺ヶ沢町でイカ焼き店を切り盛りし、生業としている。

 わさおの体調が激変した間における変わった出来事と言えば、菊谷のおばちゃんが肺を患って2か月入院したことしかない。

 菊谷のおばちゃんが2か月入院した間、わさおは、また捨てられてしまった、と思ったようだ。その寂しさとストレスで、やつれてやせてしまったらしい。わさおは、血液検査や内臓疾患検査の結果、全く異常がなかったのだ。

 ブサカワイイと言われるわさおが、毛が抜けてほっそり、とやつれた姿は、見ていられなかった。
 それなりに太っていて、毛がふさふさしているからこそ、ブサカワイイと言われるのだし、つぶらな目が可愛いとなるのだ。
 毛が抜けてやせ細った秋田犬は、よくよく見れば、ああ、わさおか、となるが、一見したときには、ワイ、随分な痩せ犬、としか見えない。ブサカワイイのカワイが毛とともに抜けて、ブサイという感じだった。

 
 あれから、2か月近くが経った。全国的に猛暑続きの8月も残すところわずかである。津軽の夏の風物詩である紫陽花も「また来年」と言う時期だ。
 
 嬉しい知らせが入った。わさお復活の知らせである。

 それなりに太っていて、毛がふさふさしているわさおの姿だ。

 デカイ顔の真ん中から少し下にダンゴ鼻があり、そのちょっと上につぶらな瞳が並んでいる。

 ダンゴ鼻の下には、秋田犬(あきたいぬ)らしく、笑った雰囲気で舌を見せている。

 これこそ、わさおだ。なんて、ブサカワイイ。

 菊谷のおばちゃんが2か月の入院から退院した後も、わさお自身は、毛が抜けて痩せていても、食欲も散歩の様子も以前と変わらずであり、元気にしてしてきたそうだ。

 ただ、「別犬」のように変わったわさおのことを心配して、全国のわさおファンから、菊谷のおばちゃんのところにお見舞いが相次いだそうだ。

 菊谷のおばちゃんは、テレビカメラの前で語った。津軽弁なまりの菊谷のおばちゃんの語り方が、ブサ、と言いかけて、あわてて止めた。語り方がカワイイ。
「わさおの背中やしっぽの毛がまだ少ないけれど、8割方戻った感じです。『わさお、頑張れ』と応援して下さった皆様には本当に感謝しています。もう大丈夫です」 
 わさおの復活宣言だ。

 
 秋田犬(あきたいぬ)わさおは、ブサカワイイ人気犬であり、その人気は、とっくに全国区である。

 津軽生まれの個性派には、ほかに大相撲界のロボコップこと元高見盛の振分親方がいる。振分親方の人気ぶりも全国区であるが、わさおの人気は、それに負けていない。

 ここで、外野から、もう一声が飛ぶ。「福士加代子さんと比べるとどうなの」

 福士加代子さんは、日本の陸上長距離・マラソンの第一人者で、彼女も津軽生まれの個性派だ。つい先日開催の世界陸上の女子マラソンで、日本に唯一の銅メダルをもたらしたばかりだ。
 
 この外野からの一声に、わさおは、堂々と自分で答えた。「福士加代子さんには負けます」
 わさおは、男だ。だから、元高見盛の振分親方には負けない。しかし、わさおは、同時に紳士でもあるから、レディーファーストを重んじるのだ、と言う。わさおが言っているのだ。

 わさおの復活宣言がなされて、わさおにあやかってニックネームをつけたWASAOも嬉しいし、やれやれである。で、ここで調子に乗ったWASAOは、「わさおにあやかって全国区を目指す」と宣言する。
 まあ、全国区を目指すだけだから、許されるだろう。


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「けん君、ありがとう」

 「けん君、ありがとう」


 ネットを見て、ブログサイトを覗いてみれば、随分な数のブログが目につく。登録ブログ件数が100万件を越えるブログサイトは、珍しくないほどだ。

 いったい日本にはどれくらいのブログがあるのだろう。そして、ブログにはどれくらいのアクセスがあるものなのだろう。わずか2か月前にブロガーになったばかりのにわかブロガーの疑問である。

 例によって、ネットで調べてみたが、いつもに比べて、よく分からない。

 2008年7月2日に総務省の情報通信政策研究所が調査結果を公表した「ブログの実態に関する調査研究」によれば、国内のブログ数は約1,690万件で、そのうちアクティブなブログは約300万件程度だという。アクティブなブログとは、1か月に1度程度更新するブログのことであり、その件数は約300万件で横ばい状態とのこと。

 今は、2013年だから、2008年の調査結果とは5年も前の話だ。「例によって、ネットで調べてみる」と、いつもなら最新の結果が出てくるものなのに、どうしたわけか、ブログの実態については、2008年の調査結果が一番新しいもののようだ。仕方がない。

 1,690万件のブログのうち、アクティブな300万件を除いた1,390万件、全体の82%のブログは、開設しっ放しで、動いていないことになる。
 ブログを開設していることにより、メールを打つことができさえすれば、誰でも、ブログ記事を書き、自分の意見なり、考え方をウェブ上で、世間一般の人に知って貰う可能性がある。しかるに、8割以上のブログが休眠状態とは、もったいない話だ。

 それと、ブログへのクセス数については、1日の平均アクセス数が50以下のものが調査対象ブログ全体の80%だったという記事を見た。アクセス数が500を超えるブログに至っては、全体のたった1.7%だそうだ。

 そうか、1日の平均アクセス数が50を超えるのは、全体の2割しかなく、それでも大変なことなんだな。にわかブロガーの実感である。

 
 にわかブロガーは、研究心が旺盛だ。そこで、自分のブログへの訪問者はどういう人たちなんだろうと思い、足跡を見てみた。
 自分のブログにしては、結構足跡がついている。その中で、ユニークなブログ名が目についたので、覗いてみた。

 すると、いきなり「ピリオドを打ちます。このブログにピリオドを打ちます。ブログを始めて3か月。楽しかった。応援してくれた方々、本当にありがとうございました」とある。

 えっ、驚いた。今、改めてどんな人だろうと思って、覗いたばかりなのに。ビックリした。
 
 ブログ記事をいくつか拝見したら、どうやら若い人らしい。

 いろいろ辿っていったら、ランキングが1位となっている。驚いた。しかも、2万件ぐらいのブログ数の中で1位だ。また、驚いた。

 ブログへのアクセス件数を見た。なんと、4万件近い。にわかブロガーは、すぐに計算機を叩いた。ブログを始めてから3か月とあるから、1日の平均アクセス件数が400件を超えている。ということは、あまたあるブログの中で全体の上位2%ぐらいに入る勘定だ。だから、またまた驚いた。

 えっ、そんな人がブログを止めるんだって。またまたまた驚いた。

 ブログ記事をちらちら見てみた。特別なことを書いているのでもない。日常の普通にありそうなことを書いている。ただ、言えるのは、そこに展開されているのは若い人の感性だ。そこはかとない詩情が流れている。

 この人のブログを初めて拝見したのは、いつだっけ。記憶をたどった。そうだ、8月の半ばだった。そして、何だろう、これは、と思ったっけ。日常の普通のことを書いている。なんでこんなことをわざわざ、と感じて、それっきりだった。

 しかし、「ピリオドを打ちます。このブログにピリオドを打ちます」という文章に触発されて、なぜ止めるの、という感覚でブログ記事を見る。ああこの若者は詩人だ。

 しょっぱなに見た瞬間は、にわかブロガーのオジサンには分からなかった。でも、今は、分かる。やはり、ランキングが1位と言い、アクセス件数と言い、多くの人を惹きつけるのには、相応の理由があるということだ。
 この若者には才能がある。人生経験豊富なオジサンには分かる。


 ネットは、いろいろなことを教えてくれる。自分に知識がなくても、否、知識がないからこそ、ネットは教えてくれるのだ。ネットは、人生の学校だ。学ぶ意欲がありさえすれば、教えてくれることは、無限だ。

 「ピリオドを打ちます」の若き詩人は、ネットという人生の学校で、にわかブロガーのオジサンにとても大事なことを教えてくれた。ありがとう。なんか会ったとたんにお別れのような感じだが、また、どこかできっと会える。だから、お元気で。

 けん君、ありがとう。このブログ記事をどこかで見てくれたら、オジサンは嬉しい。 


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「また来世」

日本列島の全国各地に夏の風物詩がある。

 津軽では、何と言っても、ねぶたとねぷただ。

 ねぶた祭りは、青森市で毎年8月2日から7日まで行われる。弘前市で行われるのがねぷた祭りで、祭り会期は、毎年8月1日から7日までだ。

 今年の夏は、ねぷたを観て、写真俳句を一句詠んだ。

 ねぷた観て
 こころ高まる
 夏の夜


 そして、ねぶたを観て詠んだ写真俳句は、二句だ。

まず、一句。

 遠ざかる
 ねぶたの囃し
 秋の風

 今年の夏は、とにかく暑いが、さすがに夜ともなり、ねぶたが闇夜に遠ざかって行くと、忍び寄る秋の風を感じる。

 そして、ねぷた祭りの最終日、8月7日。ねぶたの海上運行と花火大会が行われる。

 ねぷた祭りは、20数台の大型ねぶたが出陣し、約3kmのコースを2日から6日までは夜、最終日の7日は昼に運行される。観客数は、6日間で延べ300万人を越える。
 
 20数台の大型ねぶたは、ねぶたそのものの出来栄えや跳人(はねと)の盛り上がりぶり、太鼓、笛、手びらがね等の囃し方などが審査に付され、「ねぶた大賞」を最高とする各賞が授与される。

 最終日夜の海上運行ができるのは、「ねぶた大賞」を貰ったねぶたをはじめとする上位5台だけだ。ねぶた関係者にとっては、大変な栄誉なのだ。

 海上運行される5台のねぶたは、それぞれはしけに乗せられる。もちろん、跳人(はねと)も太鼓、笛、手びらがね等の囃し方も相応の人数が乗る。

 夜になると、花火の打ち上げを合図に、5台のねぶたは、港を出航する。約一万発の花火が打ち上げられる下で、ゆらりゆらりと、約1時間半の間で青森湾内の約3kmの距離を2往復するのだ。
 
 そこで、一句。

 夏の夜
 また来年と
 行くねぶた

 
 津軽の夏の風物詩と言えば、紫陽花もそうだ。
 
 津軽では、紫陽花の見頃は、7月下旬から8月下旬までであり、紫陽花は、夏の盛りに咲き誇る花である。

 夏休み中の津軽の大学。しかし、その正門から学び舎までの道伝いに咲く紫陽花たちに夏休みはない。けなげで元気に咲き誇る姿は、まるで、大学で一生懸命学んでいるようにも見える。

 彼らにエールを送るべく、お盆期間中に、写真五行歌「学ぶ紫陽花」を詠んだ。
 
 夏休み
 学生いない
 大学に
 学ぶがごとく
 紫陽花咲きぬ

 
 津軽の夏の風物詩、ねぶたと紫陽花には、共通性がある。

 ねぶたは、祭りが終わって去っても、また来年、人間の手によって作られ、登場する。元々、人間によって作られることにより、生命を与えられるものだ。

 だから、 夏の夜
      また来年と
      行くねぶた    なのだ。

 紫陽花は、紫陽花で、また来年の夏、自ら咲く。

 だから、 行く夏や
      また来年と
      七変化      と詠むこともできる。

 しかし、津軽に限らず、夏中、日本全国で鳴く蝉の場合は、そうはいかない。

 一説によれば、蝉は、幼虫期間の7年間を地中で生活し、その後、地上に出て、成虫期間の7日間を懸命に生き、一生を終えるのだという。

なぜ、幼虫期間が7年で、成虫期間が7日なのか、など、蝉の一生は、神秘に満ちたものだ。

 それは、宇宙を作った誰か、生命を作った誰か、つまり、「サムシング・グレート」、「偉大なるなにものか」しかご存じない。

 そんな蝉の一生の不思議さに想いを馳せて、8月の中旬に作ったのが七行歌「蝉しぐれ」である。

 七年待って
 懸命に
 七日を生きる
 蝉しぐれ
 楽しげに鳴き
 命のきずな
 つなぎゆく

 考えてみれば、ねぶたと紫陽花は、「また来年」と言うことができる。しかし、蝉は、「また来年」と言うことができない。蝉が言えるのは、「また来世」だ。

 そこで、蝉の一生に敬意を表し、俳句を一句詠む。

 秋近し
 また来世にと
 蝉時雨

 
 
 蝉は、人間に「また来年」と「また来世」違いを教えてくれる。

 これは、大事なことだ。このことから、いろいろなことに考えが及ぶ。想像力と創造力を働かせることができるというものだ。

 「サムシング・グレート」が蝉に神秘に満ちた一生を与えたのは、人間に、蝉という毎年夏にやってくる風物詩をもってして、大事なことを教えるためなのかも知れない。


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大恩人

 加代ちゃんが津軽に帰ってきた。

 加代ちゃんと言っても、隣の加代ちゃんではない。が、隣の加代ちゃんのようなものだ。

 みんながつい馴れ馴れしく加代ちゃんと呼んでしまう人。それが福士加代子さんだ。福士加代子さん、言わずと知れた陸上長距離・マラソンの日本の第一人者。

 去る8月10日から18日までロシアのモスクワで開催された世界陸上競技選手権大会。その女子マラソンで、福士加代子さんは、日本に唯一の銅メダルをもたらした。

 女子マラソンは、昨年の夏開催のロンドンオリンピックでは、木崎良子選手16位、尾崎好美選手19位、重友梨佐選手79位と、振るわなかった。

 その翌年開催の世界陸上で、日本の女子マラソン選手がどういう結果を残すか注目された。
 結果は、福士加代子選手が2009年の世界陸上ベルリン大会における尾崎好美選手の銀メダル以来、2大会ぶりの銅メダルを獲得した。
 これは、世界陸上の女子マラソンで日本選手11人目のメダリスト誕生であり、日本のお家芸である女子マラソンの復活を世界に印象づけた。
 女子マラソンでは、木崎良子選手も4位入賞を果したから、なおさら世界へのアピール度が高い。


 その福士加代子選手が8月15日朝、関西国際空港着の航空機で凱旋帰国した際、インタビューを受けた。
 「今、一番したいことは何ですか」
 「お墓参りに行きたいです。そして、自分が走るのが速いのは誰の血を引いているのか知りたい思います」
 受け答えが津軽っ子らしい。

 そんなわけで、お墓参りも兼ねてふるさと津軽に帰ってきたのだ。

 福士加代子さんは、立佞武多(たちねぶた)で有名な五所川原市にある県立五所川原工業高校を卒業しているが、津軽は板柳町の出身で、実家は、板柳町にある。
 ちなみに、りんごどころ板柳町は、大相撲の元高見盛の振分親方のふるさとでもある。
 板柳町は、福士加代子さんと元高見盛の振分親方という日本国民から愛される二大スーパースターを生んだ町でもあるのだ。こんな市町村は、ほかにはないだろう。津軽のことだから、つい力が入ってしまう。お許しあれ。

 福士加代子さんの世界陸上女子マラソンにおける銅メダル獲得の報告会は、8月20日、板柳町多目的ホール「あぷる」で開かれた。

 福士加代子さんは、所属するワコールの永山忠幸監督と共に登壇した。
 
 県立五所川原工業高校卒業の福士加代子さんは、高校時代まではこれといった実績もなく、インターハイや国体でも決勝に辛うじて残るぐらいであったという。

 彼女は、高校卒業後すぐに、板柳町を発ち、たった一人して京都のワコールに入社した。
 そうした福士加代子さんの素質と才能を見抜き、ワコール入りさせて、世界の福士加代子にまで、育て上げ、鍛えてくれた人、それはワコールの永山忠幸監督であることを津軽の人はみんな知っている。福士加代子さんの大恩人は、津軽にとっても大恩人である。

 「ねっ、獲りました。初めてのメダルを」福士加代子さんは、ステージ上でおどけてみせた。満面の「加代子スマイル」だ。
それは、世界陸上女子マラソンの表彰式冒頭と同じ光景だ。表彰台に一番先に上った福士加代子さん。テレビカメラに向かって「やりました」と小さく叫んだのだ。満面の笑みだ。

 人気者は、何をやっても絵になる。

 福士加代子さんは、会場に詰めかけた町民を前に、これまでの応援に対する感謝を込めて語った。
「努力が報われるというのは、こういうことだと初めて思った。結果が出るとこんなに違うんだな、こんなに褒められるんだな」
  
 失敗しても、そこで諦めないで、また挑み、失敗しても、そこで諦めないで、また挑み、を繰り返しながら栄光をつかんだ福士加代子さんの言葉だ。だからこそ、重みがある。

 壇上で永山忠幸監督は、語った。
「体調が万全でない中、これまで積み重ねてきた努力が実った。運もあった」

 これを聞いた福士加代子さんは、「私ばかりメダルを貰っちゃいけない」と言いつつ、「金」と書かれた手製のメダルを永山忠幸監督の首にかけてあげた。

 
 開眼という言葉がある。こつを会得することだ。

 福士加代子さんにとって、世界陸上は、5度目のマラソンレースであった。それまで走った4度のマラソンレースは、惨敗が2回で、残りの2回も成功とは言えない。


だから、世界陸上のマラソンでの銅メダル獲得は、五度目の正直だ。


 私は、今回の五度目の正直で、福士加代子さんは、走り方においても努力の報われ方においても開眼したとみる。

 そして、開眼した福士加代子さんと永山忠幸監督の師弟コンビには、更なる進化が待ち受けていると確信し、今後に大いに期待する。



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驚き桃の木山椒の木

 2012年夏に開催されたロンドンオリンピックから1年が経過した。

次に掲げるのは、1964年開催の東京オリンピック以降の各オリンピックに
おける、ある団体競技での日本の成績である。ある団体競技とは、何の競技か
お分かりだろうか。

 オリンピックでの日本の成績
     男子      女子 
 1964年 3 銅メダル  1 金メダル
 1968年 2 銀メダル   2 銀メダル
 1972年 1 金メダル   2 銀メダル
 1976年 4位      1 金メダル
 1980年 最終予選敗退  不参加 モスクワオリンピック
 1984年 7位      3 銅メダル
 1988年 10位      4位
 1992年 6位      5位
 1996年 最終予選敗退  9位
 2000年 最終予選敗退  最終予選敗退
 2004年 最終予選敗退  5位
 2008年 11位      5位
 2012年 最終予選敗退  3 銅メダル

 日本が参加をボイコットしたモスクワオリンピックを除く12回のオリンピック
での男女別の成績について、金銀銅メダル獲得、メダル獲得外、最終予選敗退
つまりオリンピックに出場できず、に区分したのが下記である。

       男子      女子       
 金メダル  1回      2回
 銀メダル  1回 2回
 銅メダル 1回 2回
 メダル外   5回 5回
 最終予選敗退 4回      1回

 そう、お分かりのように、ある団体競技とは、バレーボールである。
 
 男女のバレーボールのうち、女子は、昔の栄光ほどではないにせよ、近年も
立派な成績を残している。ロンドンオリンピックでも、7大会ぶりの悲願の
銅メダルを獲っているのだ。

 問題は、男子バレーボールである。オリンピックのメダルうんぬんどころ
でない。ここ5大会は、最終予選敗退つまりオリンピックに出場できず、が4回
もある。5大会のうち唯一出場できた北京オリンピックでは、11位だ。

 女子バレーボールもだが、昔は、男子バレーボールも強かった。男子バレー
ボールは、オリンピックで、1964年の東京が銅メダル、1968年のメキシコシティ
が銀メダル、1972年のミュンヘンが金メダルだ。ホップステップジャンプ
よろしく、銅、銀、金のメダル獲得なのだ。

 ミュンヘンオリンピックにおける男子バレーボールチームのメンバーの
勇姿は、41年経った今でも、鮮明に覚えている。セッター猫田、エースの大古、
森田、横田、ベテランの南、中村、若手イケメンの嶋岡らの姿。

 あんなにも強かった男子バレーボール。それが今では、オリンピックに出場
することすらできない。

 国際バレーボール連盟の世界ランキングの最新版によれば、日本は、女子が3位
であるのに対し、男子は、順番をめくってもめくっても、なかなか出てこない。
なんたることだ。

 男子の世界ランキング順は、1位ブラジル、2位ロシア、3位イタリア、4位
ポーランド、5位アメリカ、6位キューバ、7位セルビアと続く辺りまでは、
そうか、となる。
 
 しかし、8位アルゼンチンと聞くと、オヤッ。そして、9位ブルガリア、10位
ドイツ、11位カナダと続くと、そうなんだ。

 問題は、そのあとだ。12位オーストラリア、12位イラン、14位エジプト、
15位チュニジア、16位中国、16位カメレオン、18位フランスと聞けば、なんと
いうか、怒りがこみ上げてくる。私だけだろうか。そして、19位日本ときた。

そんな。驚き桃の木山椒の木だ。


 奇妙なまでの類似性がある。それは、男子バレーボールの栄光と挫折は、戦後
日本の高度成長と没落に重なるのだ。
 
 昭和の時代、アジア初の東京オリンピックを成功させ、世界に通用する
日本語である「新幹線(shinkansen)」を全国に張り巡らせ、高度成長の途
をひた走った日本。

 昭和の一時期、世界から、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」、「日本が
ナンバーワン」ともてはやされた日本。

 しかし、平成に入ってすぐ、バブルが崩壊し、「失われた20年」を経なけれ
ばならなかった日本。
  
 この間、政治の無策、愚策のゆえに没落してしまった日本。悲しいことだ。

 しかし、その裏返しのところに、男子バレーボールの歴史があるとしたら、
もっと悲しいし、さびしい。

 せめて、スポーツだけでもと思うのは、私だけだろうか。

 あんなにも強かった男子バレーボール。それが今では、オリンピックに出場
することすらできない。
 この間、何が変わったというのだろうか。
 日本人と外国人の体格差? 
 そんなことを言ったら、漫才師のこだま・ひびきさんに即言われてしまう。
「そんな事はないだろう」
 だって、日本人と外国人の体格差は、昔と比べて、今の方が縮まっている
だろうから。

 
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アスリート

 2012年夏に開催されたロンドンオリンピックから1年が過ぎ、次のリオデジャネイロオリンピックまで、残すところ3年を切った。

 ロンドンオリンピックで活躍したアスリートのその後は、如何。はたまた、次のオリンピックを目指す有力選手は、いずこに。陸上競技ファンとしては、大いに気になるところである。

 そんな中、第14回の世界陸上競技選手権大会は、去る8月10日から18日までロシアのモスクワで開催された。

 9日間の熱き闘いの結果、総合成績では、開催国ロシアが金7、銀4、銅6のメダルを獲得し、1位である。次いで、金6、銀14、銅5を獲得したアメリカが2位。3位は、ジャマイカで、金6、銀2、銅1のメダルを獲得した。

 特筆すべきは、ジャマイカの強さだ。ジャマイカは、男女の100m、200m、4×100mリレーの金メダルを独占した。これは、世界陸上史上初の快挙である。
 男子のウサイン・ボルトと女子のシェリーアン・フレーザープライスは、共に100m、200m、4×100mリレーの短距離3冠を達成した。

 日本は、女子マラソンで福士加代子が銅メダルを獲得したほか、入賞7という結果を残した。これは、大会前に掲げた「メダル1、入賞5」という目標を上回るものだ。

 入賞7の内訳は、次のとおりだ。

 男子棒高跳び 山本聖途 6位入賞
 男子20キロ競歩 西塔拓己 6位入賞 
 男子ハンマー投げ 室伏広治 6位入賞
 男子マラソン 中本健太郎 5位入賞
 男子4×100mリレー 6位入賞

女子マラソン 木崎良子 4位入賞
女子1万メートル 新谷仁美 5位入賞

 日本の銅メダル1という成績は、大会に参加した206の国と地域の中で33位に位置する。
 
 アジアからの参加国では、中国が最高順位で、銀1、銅3のメダル獲得で22位である。したがって、アジアでは、日本は、中国に次いで、二番目となる。

 日本は、大会前に掲げた目標を上回り、206の国と地域の中で33位、アジアで二番目という成績だったのだから、ますまずの成績を残せたと言えるだろう。

 それもこれも、女子マラソンでの福士加代子の銅メダル獲得によるのだから、福士加代子さまさまである。


女子マラソンが行われた8月10日には、世界陸上のテレビ中継で、マラソンのスタートからゴールするまではもちろん、インタビューも含めて、テレビで観ることができた。

 日本の3選手は帽子をかぶって走り、福士加代子と野口みずきは首の後ろ側にも日よけをつけているのを見て、これは、かなり暑い中でのレースであるのは一目瞭然だった。

 私たちは、女子マラソンをテレビ中継で観るが、テレビカメラは、ほとんど、先頭集団を走りメダル争いに絡む選手に向けて回るから、レース全体の大変さを意外に知らない。
 まあ、テレビ中継を観ている側も猛暑続きの日本で、ボーッとしながら観ているのだから、無理もないが。

 当日、8月10日は、気温は30度を越え、湿度は48パーセントというコンディションとなった。日本でも夏に行われるマラソンはあるが、それは、北海道でのマラソンだ。気温30度越えの中でのマラソンは、過酷だ。

 女子マラソンの出場は72人だそうだ。こんなにも多くの出場選手がいたとは、意外である。うち完走者は46人である。残りの26人、全体の4割の選手が途中棄権したのだ。いかに過酷なコンディション下のレースであったか分かろうというものだ。

 ということは、かくも過酷なコンディション下のレースに挑んだ世界の72人のアスリートの中で、福士加代子選手は銅メダルで、木崎良子選手は4位入賞だ。

 こうして見ると、両選手とも大したものだ。


 メディアは、日本のアスリートがメダルを獲れば獲ったで騒ぎ、獲れなければ獲れなかったで、それ以上に騒ぐ。

 まあ、メディアに言わせれば、メディアの対面にいる国民の意向を反映しているにすぎないとなるのかも知れないが。

 金銀銅メダルの獲得は、素晴らしい。しかし、6位以内入賞だって、世界の6位以内だ。これも素晴らしい。女子マラソンのような、過酷なコンディションのレースの場合は、完走だけでも素晴らしい。

 そこで「もう一声」という掛け声が聴こえてきそうだ。うん、そうか。世界の桧舞台に出るだけでも、素晴らしい、と言いかけて、止めた。

 福士加代子選手は、8月10日の女子マラソンで、満面の笑顔でゴールラインを越えるとき、「世界の運動会みたいな感じ。わ~い」という雰囲気でポーズを作ったという。

 しかし、いくら世界の運動会でも、出るだけで素晴らしい、とは、さすがに言えない。小学校や中学校の運動会でも、出るだけで素晴らしい、とは言えないように。




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120億円

 8月も下旬になり、消費税増税の議論が本格化しようとしている。

 消費税増税は、いつから行われる予定となっているのか。    

 昨年施行された法律によれば、平成26年4月1日から消費税増税が行われることになっていて、消費税増税は、平成26年4月1日から8% 、平成27年10月1日から10%という2段階で実施されることになる。

 ただし、この消費税増税には、条件が付けられている。それは、経済状況に鑑み、消費税増税の停止までを含めて柔軟に対応することとされているのだ。

 その判断時期は、今年の秋頃をメドに決定されるものと見られてきた。

 安倍政権が掲げる経済政策であるアベノミクスについては議論があるものの、経済状況が上向きに推移する傾向が続いており、少なくとも今年の秋頃まではその傾向は維持されるだろう。

 だから、消費税増税は予定どおり行われ、いずれ消費税が10%に増税されるのは必至だと思う。

 問題は、消費税増税分の使途だ。
 
 改正された消費税法によれば、国分の消費税収入については、年金、医療及び介護の社会保障給付並びに少子化に対処するための施策に要する経費(社会保障4経費)に充てるものとされている。

 また、地方分の消費税収入については、社会保障4経費を含む社会保障施策に要する経費に充てるものとされている。

 要するに、消費税増税分の使途は、社会保障4経費を含む社会保障施策に要する経費に充てるということだ。

 これを見る限りでは、杓子定規なやり方だと思ってしまう。夢も希望も面白みもない。

 
 今、日本の女子スポーツの中で、大活躍をしつつも、置かれているスポーツ環境が恵まれていない種目がある。
 
 一昨年の7月、なでしこジャパンが女子サッカーのワールドカップで優勝した当時、なでしこジャパンの選手たちが置かれたスポーツ環境を知って、驚いた。

 なでしこジャパンの優勝メンバー21人のうち、ドイツのサッカーチーム所属の安藤選手や永里選手はもちろんプロ契約選手だが、それ以外では、澤、宮間、大野などの数える選手だけがプロ契約なのだそうだ。
 その他の選手は、アルバイトをしながら、選手生活を続けているのだという。

 その当時、澤選手がインタビューに答えて言っていたことが忘れられない。
 それは、なでしこジャパンの選手が代表チームとして練習や試合をするときに、1,000円くらいの弁当が自己負担なしに支給されると、みんなが拍手をして大喜びするのだという。

 この一事をもってしても、なでしこジャパンの選手たちが置かれていたスポーツ環境がいかに劣悪であるかが分かる。
 なでしこジャパンの選手たちでさえ、こんな状態だし、その後、大幅に改善されたと聞いたことがない。

 そして、今、女子サッカーのなでしこジャパンの向こうを張って注目されているチームがある。それは、女子アイスホッケーのスマイルジャパンだ。

 女子アイスホッケーのスマイルジャパンは、去る2月に来年のソチ冬季五輪の出場権をいち早く獲得し、一躍脚光を浴び始めているのだ。

 しかし、スマイルジャパンの選手たちは、そのほとんどがアルバイトをしながら、選手生活を続けているのだという。なでしこジャパンの選手たちよりも格段に恵まれていないらしい。

 日本国を代表するスポーツ選手の活躍がいかに国民に感動と勇気を与えるか。説明するまでもないことだ。

 そうした日本国を代表するスポーツ選手がアルバイトをしながら、選手生活を続けているという状況を放置しておいてはならない。

 私たちも、国民に感動と勇気を与えてくれる日本国を代表するスポーツ選手の活躍に対価を払うべきだ。


 今、日本の65歳以上の高齢者の推計人口は3,074万人だという。高齢者のうち、健康状態について何らかの自覚症状を訴えている者、つまり元気でない高齢者が半数で、残りの半数が元気な高齢者だという。

 そこで、提案がある。元気な高齢者が負担する消費税増税分の使途は、「日本国を代表するスポーツ選手がアルバイトをしなくても選手生活を続けていけるための経費」にしてほしい。

 この場合、対象スポーツを何にするのか、女子のみにするのか、補助金を出すことにするのか、金額はいくらにするのか、などなど、検討項目があるだろうが、そんなことは制度設計の問題であり、なんとでもできる。

 日本には、優秀な官僚がわんさかいるのだ。彼らに考えさせればいい。簡単なことだ。

 大事なことが一つある。それは、元気な高齢者が増えれば、それだけスポーツ選手へのてこ入れ額を増やしていくということだ。元気な高齢者が増えれば、その分、医療及び介護の社会保障給付費が減るというメリットもある。

 元気な高齢者が日本代表スポーツ選手を応援し、その大活躍によって元気を貰い、ますます元気な高齢者が増えて、という好循環がねらいだ。

 参考までに、元気な高齢者が負担する消費税増税分を計算してみる。

① 65歳以上の高齢者の推計人口が3,074万人で、総人口に占める割合は24.1%。
② 高齢者のうち元気な高齢者の割合は、50%。
③ 消費税1パーセントの増税で約2兆円の税収が増えるという説があり、税率を5%から10%まで上げれば、消費税増税分は10兆円となる。
 
 これらによれば、元気な高齢者が負担する消費税増税分は、次のとおりである。
  10兆円×0.241×0.50=1.2兆円

まあ、この全額というのもなんだから、このうちの1%としても、120億円になる。
日本国を代表するスポーツ選手のアルバイト月額を100千円とすれば、一人当たり年額は、1,200千円である。
 120億円あれば、10,000人分ものアルバイト年額を確保できる。

 元気な高齢者が負担する消費税増税分のわずか1%で、日本国を代表するスポーツ選手10,000人がアルバイトをしなくてもよくなるのだ。

 いかがか。




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女子スポーツ

 去る8月10日、世界陸上のテレビ中継で、女子マラソンの一部始終を観ることができた。

 その日の夜中には、女子マラソンの表彰式までも中継してくれた。

 表彰台に一番先に上った銅メダルの福士加代子さん。テレビカメラに向かって「やりました」と小さく叫んだ。満面の笑みだ。
 続いて、銀メダルのイタリア選手、金メダルのケニア選手が台に上る。
 やがて、ケニア国歌が流れる中、3本の国旗が上がる。
 ケニア国歌が終わり、3選手が健闘を称え合い、肩を抱き合う。
 その時だ。終始満面の笑顔だった福士加代子さんの目尻に、うっすらとした一筋の涙が。

 こういうのを観ていると、スポーツっていいなあと思う。

今回の福士加代子さんの活躍にとどまらず、スポーツ選手の活躍がいかに国民に好影響を与えるか。この点について異論を唱える人は、おそらくいないだろう。
 
 一昨年の3月に発生した東日本大震災は、未曾有の大災害であり、これまで経験したことのないような巨大な被害をもたらした。
 日本中が打ちひしがれた状態が続いた中で、その年の7月になでしこジャパンがワールドカップで優勝し、世界一になった。
 この快挙によって、日本国民がいかに勇気づけられ、救われたことか。くどくどと申し上げるまでもない。
 私は、この当時における日本社会への最大の功労者は、なでしこジャパンだと思っている。
 

 なでしこジャパンの選手たちが、ワールドカップ開催国のドイツに向けて飛行機に乗り込んだとき、空港で見送ったファンは多くなかったという。

 そんな状況だったから、私たちは、なでしこジャパンがワールドカップで優勝し、世界一になったとき、正直言って驚いた。

 そして、なでしこジャパンの選手たちが置かれたスポーツ環境を知ったとき、またまた驚いた。

 なでしこジャパンの優勝メンバー21人のうち、ドイツのサッカーチーム所属の安藤選手や永里選手はもちろんプロ契約選手だが、それ以外では、澤、宮間、大野などの数える選手だけがプロ契約なのだそうだ。

 その他の選手は、アルバイトをしながら、選手生活を続けているのだという。

 その当時、澤選手がインタビューに答えて言っていたことが忘れられない。
 それは、なでしこジャパンの選手が代表チームとして練習や試合をするときに、1,000円くらいの弁当が自己負担なしに支給されると、みんなが拍手をして大喜びするのだという。

 この一事をもってしても、なでしこジャパンの選手たちが置かれていたスポーツ環境がいかに劣悪であるかが分かる。
 なでしこジャパンの選手たちでさえ、こんな状態だし、その後、大幅に改善されたと聞いたことがないのは、私だけだろうか。
 
 今、サッカーのなでしこジャパンの向こうを張って注目されているチームがある。それは、女子アイスホッケーのスマイルジャパンだ。

 女子アイスホッケーのスマイルジャパンは、2月に来年のソチ冬季五輪の出場権をいち早く獲得し、一躍脚光を浴び始めているのだ。

 しかし、スマイルジャパンの選手たちは、そのほとんどがアルバイトをしながら、選手生活を続けているのだという。なでしこジャパンの選手たちよりも格段に恵まれていないらしい。


 なぜって思う。
 
 サッカーにしろ、アイスホッケーにしろ、女子選手が男子選手に比べてなぜこんなにも環境が悪いのか。

 考えてもみてよ。男子スポーツでも女子スポーツでも、国民に与える感動に違いはなんらない。

 なのに、スポーツ環境には、圧倒的な差があるスポーツ種目がある。これは、明らかな差別だ。

 なぜ、国民は、こんなことを許しておくのか。

 なぜ、女子国民は、こんな差別はノーと叫ばないのか。

 日本テレビ系列で放送中の「秘密のケンミンショー」をよく観るが、その中でオバチャンたちの方がオジチャンたちよりも圧倒的に元気がいい。
 そんなオバチャンたちがなぜ自分たちの後輩の女子スポーツ選手たちのために立ち上がらないのか。

 俺みたいなシャイな人間から見れば、オバチャンたちは恥も外聞もなく行動しているように見えるときがある。
 それは、自分のためだからこそできるということなんだろうか。
 それじゃ、お願いだから、何分の一かのエネルギーでいいから、後輩の女子スポーツ選手たちのために使ってよ。

 今の日本の現実は、さまざまな分野で男女不平等である。それは、なぜか。はっきりしている。女子がそれを許しているからだ。

 女子国民に告ぐ。今こそ、立ち上がれ。

今から、145年前の明治維新の時、山本八重さんは、スペンサー銃を持って戦った。会津を守るために。
 会津戦争で新政府軍と戦う八重さんは叫ぶ。「これは、会津を滅ぼそうとする者たちとの戦(いくさ)だ。会津は絶対に負け゛ね。負け゛るわげにはいがね」


 山本八重さんほどである必要はまったくないが、それでも女子国民にはできないのだろうか。そして、男女不平等が続くだけなのだろうか。だとしたら、これほど残念なことはない。






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「とことん努力の人」

去る8月8日から始まった夏の高校野球甲子園大会が終わった。

 猛暑続きの夏が更に一層熱を帯びた15日間であった。

 高校野球好きのマニアならずとも、母校に対し、あるいはひいきの高校を決めながら、一喜一憂する日々が今年も続いた。日本の夏の風物詩そのものだ。

 観る者は、目の前の高校球児の頑張りに自らの若き頃、あるいはこれまでの来し方の出来事における自分を重ねる。

 だから、観る者にとって、自然と、もはや他人事ではなくなってしまっていく。熱が入るのも無理はない。高校野球が日本国民に人気があるゆえんだ。

 甲子園大会で活躍し、その後、プロ野球に進んでスターの道を歩む人は数多くいる。
 今をときめく、東北楽天イーグルスの田中将大投手。今年の開幕から16連勝し、日本新記録を作った。そして、それを17連勝に伸ばすとともに、昨シーズンから引き続くプロ野球新記録の21連勝をも達成した。大したものだ。
 その田中将大投手も北海道の駒大苫小牧高校時代に、夏の甲子園大会で2連覇を達成している。

 しかし、甲子園大会に出場できなかった高校野球選手の中にも、その後、プロ野球に進んで活躍している選手も少なくない。

 高校野球におけるスター選手と雑草のような選手が共にプロ野球でしのぎを削るからこそ、プロ野球は一段とおもしろいし、人生もまた楽しからずやだ。

 我が青森県にも、甲子園大会の出場経験がなく、その後、プロ野球を代表するレベルに到達した選手がいる。
 現在、福岡ソフトバンクホークスの正捕手である細川 亨(ほそかわ とおる)選手、その人だ。

 細川 亨選手は、青森県は東津軽郡平内町の出身だ。
 青森県立青森北高等学校では、県大会に1年次から出場し、強肩強打の捕手として活躍したが、甲子園出場はなかった。

 その後、進んだ青森大学では、捕手として異例の1番打者として活躍し、全日本大学野球選手権大会ではベスト4まで進んだ。

 2001年のドラフト会議で、西武ライオンズに自由獲得枠で入団した。
 自由獲得枠というのは、今のドラフト会議ではないが、2001年のドラフト会議から導入され、2004年まで4回実施された。1球団2人まで自由競争で選手を獲得できるという制度だ。

 細川 亨選手が入団した当時の西武ライオンズは、とにかく強かった。
 
 常勝軍団、西武ライオンズだ。それまで、リーグ優勝が13回、うち日本一が8回だ。この頃の西武は、プロ野球史上、全盛期の読売巨人軍をしのぐほどの勢いがあったと言えるのではないだろうか。

 いい選手がいっぱいいた。

 一塁手 清原、二塁手 辻、三塁手 石毛、捕手 伊東、外野手はセンターの秋山。
 
 ピッチャーでは、渡辺、潮崎、松坂などだ。
 
 捕手の伊東勤は、現千葉ロッテ監督であり、常勝軍団西武は、捕手の伊東勤の力があってこそと言っても過言ではない。そういう意味では、日本プロ野球史上、1、2位を争う名捕手である。

 こうした常勝軍団、西武ライオンズへの細川 亨選手の入団が決まったとき、我々青森県民は、びっくりした。
 青森大学で全日本大学野球選手権大会ではベスト4まで進んだとはいうものの、地方大学の選手だし、甲子園出場もないのだ。

 プロ野球では、細川 亨選手は、新人で入団した西武で、入団2年目から正捕手を8年間を勤めた。

 その後、FA権を行使し、2010年12月に福岡ソフトバンクホークスに移籍し、今日まで正捕手を勤めている。
 
 この間、細川 亨選手は、西武でリーグ優勝3回、うち日本一2回、ソフトバンクで、リーグ優勝1回、同時に日本一1回に貢献している。

 細川 亨選手は、派手さはない。過去11年間の打率もたったの2割8厘だ。しかし、この人は、普段はヒットを打たないが、チームにとってとてつもなく大事な試合や場面で、よくヒットやホームランを打つのだ。

 不思議な選手だ。
 プロ野球では、打率3割をマークすれば、一流選手だ。細川 亨選手の打率は、一流選手並みの打率には1割弱足りないが、それを補って余りあるいいところで打つのだ。
 
 捕手としての守備面は、もちろん申し分ない。今まで2度のゴールデングラブ賞にも輝いている。

 地方大学出の選手で、甲子園出場もない細川 亨選手が自身の努力でプロ野球界で堂々の活躍を見せているのは、立派であるし、青森県民として誇らしい。とことん努力の人、それが細川 亨選手である。


 それにしても、見ている人は見ていてくれるものだ。高校、大学時代からの細川 亨選手の才能を見抜き、西武に引っ張り、そして努力をさせてくれた人がいる。
 それは、誰か。
 その人は、誰あろう、常勝軍団西武を支え、日本プロ野球史上、1、2位を争う名捕手。そう、現千葉ロッテ監督の伊東勤さんであることを私は知っている。




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